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刺し子の“余白“が、美しい。ー頑張らなくても、糸がつなぐー

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刺し子は、全部を埋めなくても、ちゃんと美しい。

布の上に、針を休ませる時間がある

それは、怠けているわけではなくて、糸を休ませている時間。

その“足りなさ“の中に、静かな呼吸が生まれ、

暮らしの中にすっと溶け込んでいく。

「今日はここまで」と糸を休ませる。

頑張らなくても続くものが、いちばん長く続く。

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“余白“があるから、美しい

布をすべて模様で埋めつくすより、

少し空いたところにこそ、光が入る。

刺し子の余白は、

見えない呼吸のようなもの。

糸の合間にできる小さな間が、

全体の美しさを整えてくれる。

完璧に刺さなくていい。

まっすぐに縫えてなくてもいい。

“余白“があるからこそ、模様が生きる。

糸目の揺らぎは、焚き火のように

糸を刺す手の動きが、ときどき不揃いになる。

でも、それは失敗ではなくて、

火の揺らめきのような自然さだと思う。

焚き火の炎を見ていると、

どの瞬間も違って、でも全部あたたかい。

刺し子の糸目も、同じ。

そろえようとせず、揺らぎを受け入れる。

「きれいな線」ではなくて、「やさしい線」でいい。

それが、手しごとのいちばん美しい瞬間。

“今日はここまで“というやさしさ

無理に完成させなくてもいい。

途中で手を止めることで、作品はまだ、暮らしの中で息している。

少しずつ進めることで、

そのひの気分や季節の空気が、糸の中に溶け込む。

刺し子は、競争でも修行でもなく、

暮らしのリズムそのもの。

「今日はここまで。」

そう言える時間こそ、いちばんやさしい余白。

糸がくれる、ちょうどいい距離

頑張りすぎず、怠けすぎず。

そのあいだにある “ちょうどいい“ を、刺し子が教えてくれる。

刺し子の時間は、暮らしをやわらげ、

少しの余白が、日常を豊かにする。

そのリズムを感じながら、今日も針を持つ。

動画で見る「糸のゆらぎ」

BGMと、布をとおる糸を映した時間を、YouTubeでも公開しています。

焚き火の炎のように、ただ眺めていられる刺し子の時間を、感じてみてください。

この記事をかいた人
Kurage

43歳主婦
刺し子をはじめて数年、その奥深さに震えています。
海にそばに住んで、たゆたう月を眺めて15年。
刺し子のこと、のんびり暮らしを言葉に紡いだ、雑記ブログ

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